2016年11月06日

岡崎由美先生と行く山東武侠ツアー その12 8月22日

2016山東ツアーマップ

昼食後は岱廟を観光します。泰山は岱山ともいい、岱山を祀る廟なので岱廟といいます。
岱廟が最初につくられたのが漢代といわれていますが、それ以前にも泰山に登る時の祭事などがこの付近で行われていたようです。
現在は岱廟全体が、泰安市博物館になっています。
20160822e01.jpg入口(正陽門)
20160822e02.jpgこんなキャラもいた(身長チェック)
広さは96000平方メートルで、東京ドームが2つ入ります。
20160822e04.jpg宣和碑
入ってすぐ右にあるのが宣和碑(宣和重修泰岳廟記碑)で、岱廟で最大の亀趺碑だそうだ。
つくったのは北宋の徽宗。あの靖康の変で欽宗らと共に金に連行された皇帝だ。
さらに右へ進むと古そうな柏の木があり、石碑が傍らにたてられている。
20160822e05.jpg漢柏
この柏は漢の武帝が植えたものと言われていて、そのうちの5株が現存している。
↑画像右の葉がついている方の柏を「赤眉斧痕」、左の枯れていて2本が根本でくっついているようになっている方が「漢柏連理」といいます。
「赤眉斧痕」は、王莽の新のとき山東周辺で起こった大飢饉を契機に農民たちが蜂起し、それを率いた樊崇の軍「赤眉軍」が泰山を拠点としていた。その中で漢王朝に恨みのあるものが、漢の武帝が植えた柏であると知り斧で切りつけたところ、血のように赤い液体が噴き出したので恐れをなしてそれ以上切ることができなかった、という伝説がある。
「漢柏連理」は二本の木が根を同じくして生えているためについた名だ。「理」は木目のこと。長恨歌にある「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」の連理の枝は、春秋戦国の宋の話が元になっているので、この木とは別物だ。
20160822e06.jpg漢柏連理の石碑
この石碑は漢柏連理を寵愛していた乾隆帝がたてたもので、石碑に絵が書かれているのは珍しい。
20160822e07.jpgたくさんの石碑
石碑には多くの名筆が書かれていますが、落書きも多くて保存状態はこんなのでいいのかと思ってしまいます。
続いて東御座という建物に向かいます。ここは岱廟に来た貴人などの休憩所。元代に建てられ、康煕年間と乾隆年間に増築されたもので立派なのですが、ここの見どころは別にあります。
20160822e08.jpg始皇七刻石のひとつ
他の石碑と違って、さすがにガラスで仕切られている。(写り込んでよく見えない(´Д`;))
画像の上の方にある大きめの文字が始皇帝の丞相・李斯の手によるものと言われており、始皇帝が秦の国内を巡幸したときに6箇所で7つ建てたという石碑のひとつだ。北宋の頃にはすでに痛みが酷く始皇帝の記述は剥がれ落ちていたが、それでも200文字以上は残っていた。その後、盗難や火災などにみまわれ今では10文字を残すのみとなっている。
始皇七刻石は、この泰山刻石のほかは中国歴史博物館に保存されている瑯琊台刻石の2つのみが現存している。
秦の公式の書体である篆書体で刻まれた書蹟であり、国宝級の貴重なものだ。
失われた部分は何が書かれていたのか、李斯や始皇帝の思いはどんなものだったか、思いを馳せようにもあまり知識がないので「忘れようにも思い出せない」byバカボンパパ。

20160822e09.jpg乾隆帝コスプレもできる?
20160822f01.jpgいたるところに石碑がある
中央を進んでいくと中国三大宮殿建築のひとつ天貺殿が見えてくる。が工事中だった。
20160822f02.jpg天貺殿前の露台
天貺殿前の露台には「扶桑石」という変わった形の石があり、俗称「迷糊石」という。この迷糊石の目をつむって時計回りに3回逆回りに3回まわってから天貺殿方向にある古い柏の木(孤忠柏というらしい)に触れられると、泰山の神様から福がもらえるという「摸福」という遊びがあるそうだ。
木に触れるどころか途中で台から転落しそうなのでやらない。

20160822f03.jpg天貺殿
天貺殿は北宋の真宗によって建てられた。別名は仁安殿、峻極殿。「貺(きょう)」は賜るの意味。
外も工事中だが中の壁画も補修中で、土やホコリなどを持ち込まないように靴にビニール袋を装着して中に入る。中には「泰山神啓蹕回鑾図」という見事な壁画があるのだが撮影禁止。
泰山神啓蹕回鑾図
「泰山神啓蹕回鑾図(たいざんしんけいひつかいらんず)」は、東岳大帝が各地を巡幸して戻ってくる内容になっている。「啓蹕」が出かける「回鑾」が向きを変えて帰ること。
なんとか上手に補修して保存してほしいものです。
20160822f04.jpg銅亭
天貺殿を出て東から裏に回ると銅亭がある。その名の通り銅でできている。
もとは泰山の上の碧霞祠にあり碧霞元君を祀っていたが、ここに移築された。銅製というと武当山の金頂を思い出す。
広い庭園を過ぎ北側の厚載門から岱廟を出ると、目の前に泰山が見える。
20160822f05.jpgでも大分曇っている泰山
皇帝たちは岱廟で準備を整えてから泰山に登ったが、我々は逆になった。でも天候からすると正解だったようだ。

泰安での観光を終え一行は高速鉄道に乗るため駅へと向かった。
余裕を持って泰安駅に到着。荷物検査を済ませ駅に入り運行状況を見てみると…
20160822f06.jpg赤字
我々の乗る列車だけ7分遅れになっていた。まあその程度ならいいさ。飛行機が飛ばないよりずっといい。
一行は岡崎先生におごってもらったアイスなどを食べながら時間を潰した。
時間になり高速鉄道に乗り込むと最初から本気出しているので速い。王さんが一度も見たことがないと言っていた時速305キロを記録した。しかし、車内はたびたびカップ麺の匂いが立ち込める。やはり中国の鉄道だというのが感じられる。
おやつを食べたり休息したりするうちに、あっという間に列車は低速モードになり外は暗くなっていった。
隣のナニ陛下の応対をするのに全身全霊を注いでいたので、眠る間もなく青島に到着。
20160822f07.jpg青島駅周辺
往路とは駅の反対側に出てきた。時間は20時。
これからこの度最後の夕食となる。

つづく


posted by 八雲慶次郎 at 19:03
"岡崎由美先生と行く山東武侠ツアー その12 8月22日"へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。