2009年03月01日

山口幇会旅日記のこと・其の二

門司港をはなれ一行は小倉へと移動を開始。
途中にある手向山武蔵顕彰碑に寄る予定でしたが、博多での集合時間に余裕があまりないため小倉城に直行になりました。


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小倉城に到着。
小倉城が現在の縄張りで建てられたのは秀吉からこの地を預けられた毛利勝信のとき。しかし関ヶ原で西軍についた毛利(森)勝信は改易。(のちに勝信の子・勝永が大坂の役で入城する)
後釜として細川忠興が豊前国を領することになり、1602年から7年かけて毛利氏の小倉城を改築して居城とした。このとき天守を南蛮造のものにしている。
その後、加藤家が改易となり細川家が肥後に移ると、小倉藩15万石として明石から小笠原忠真が入り以降は小笠原家が幕末まで続く。
現在は城の背景に真っ赤な原色のビルがあるのがなんともげんなりな感じがした。

中に入ると小倉城と糠漬けのことが微妙にゆるーく紹介される体験型施設になっていた。
紹介されているのは小笠原家の時代の小倉城なのに、登場する殿様キャラはどことなく細川元首相を髣髴させる。
殿様の一日の生活を紹介するも、解説の内容は「多分こんなだったと思うよ」みたいにゆるい。それくらい記録に残っているだろうに…。
さらに体験スペースでは「殿様の食べていた料理を当てよう」とか「飛脚と競争しよう」「殿様の駕籠に乗ってみよう」などがあった。
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駕籠に乗るまやさん。
駕籠はスイッチを押すと持ち上がり前後に動く。
大名駕籠でも実際には乗り心地が悪かっただろうなあ。中はそんなに広くないので当時の人が小さかったとしても窮屈だったであろう。
「島原の乱」出陣前夜の作戦会議風景を再現した人形は、宮本伊織(宮本武蔵の養子)がやたらとおっさんくさい顔をしていて微妙だった。その上、武蔵の代理人みたいな扱いだし…。
島原の乱のとき伊織はまだ27歳だったが、すでに20歳で家老職にあり2500石をもらっていた天才である。2500石は重臣犬甘(いぬかい)家と並ぶ家中トップで、島原の乱の軍功で4000石の筆頭家老となり、以後は宮本家の世襲となる。
それなのに作戦会議で「島原の乱にはお父ちゃんも出てくれるようにお前からも頼んでくれよ」みたいなことしか言われない伊織が不憫だ。

という感じで小倉城では武蔵より伊織の詳しい事績などがないかと期待していたのだが、やはり武蔵中心ということで巌流島関係のコーナーがあった。
巌流島の決闘で武蔵が使った木刀っぽいのと小次郎が使った太刀っぽい錆びた鉄の棒が、こんなに重いんだよーと置いてあった。
クイズ形式の紹介のは、現在でもはっきりとしていないことを問題にしているのでまともな答えがないが、有力とされている説は書いてあったのでドラマとかしか知らない人には良かったかも。
巌流島の決闘のとき、武蔵は遅れてこなかったし、小次郎は18歳でも老人でもなかったし、「小次郎敗れたり」みたいなやりとりもなかった、というくらいはそろそろ周知されてほしいところである。

天守の上までいってから下りてくると「からくりシアター」というのが上映していたので見る。
多分「飛脚の源さん小倉城下町寄り道見聞」というやつだと思われる。しかし今考えるとなんで同じ町中で飛脚なんて使うのだろう…。飛脚は最短で江戸~大坂間を3日で走ったというのに、町中でしかも途中で風呂に入りに行くって…。
ともかくCG画像と講釈をするからくり人形の動くヅラが大迫力である。
一通り見てからお土産物屋を覗くとやはりバナナ入りのお菓子があった。そして糠漬け。
私はなんとなく「徳川幕府諸侯格式一覧表」というのを525円で買った。
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慶應年間のものだが石高だけでなく家格なども書かれていて面白い。江戸城に登城したときの大名の控えの間で家格が決められている。
…なんか脱線していくので次に進もう。

一行は小倉城を後にして博多に向かうため高速道路へ車を入れた。
小倉から博多は結構距離がある。そのため途中のサービスエリアで一度休憩。
そこで焼きたての梅ヶ枝餅を食べる。昼食前なので一人半分づつにした。梅の刻印が入っているだけで、梅の味や香りがする訳ではない。でも美味かった。
ここでもご当地○○がたくさんあった。もはやなんでもあり。
ここらで団子の話をしたような気がするが、他の話だったかよく覚えていない(^^;
再び高速を走り出し、集合場所の博多駅前へと急いだ。
まやさんが地図を片手にナビをする。私は車に乗らないので、車道を走る感覚はまるでわからないため車のナビはムリだ。
やがて博多駅の近くに来た頃、集合場所に全員がそろっていた。

つづく。

…あれ、3時間くらいしか進んでない…。
ラベル:山口幇会
posted by 八雲慶次郎 at 23:51| 兵庫 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 武侠 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小倉城、
以前行ったのはいつの事やら(^^;
全体的に微妙~でしたね。

梅ヶ枝餅は太宰府天満宮の名物ですね!
(でもホットプレートで自宅でも作れます)
あと、宮地嶽神社に松ヶ枝餅というのもありますので、どこかに竹ヶ枝餅もあるのではないかと…

団子の話は全く覚えていません!!
その時、古賀SAから高速に入ってく事で、誰よりも運転手がテンパっていたからかと思われます…
Posted by 阿吉 at 2009年03月03日 00:14
団子の話は車の中ではなく、店の中か外を歩いているときだったような気がします。えまのさんしか聞いていなかったかもw
串の団子が4つ玉が多い理由は…というようなネタでした。
Posted by 八雲慶次郎 at 2009年03月03日 20:21
すみません、私も団子の話は全く覚えていません!!
団子売っていたのは覚えているのですが。。。(汗)

小倉城の展示、本当にゆる~~い感じでしたねえ。
でもCG使ったり人形使ったり、色々工夫してあるのは好感持てました。
○こにゃんで有名になった某城の展示はかなりの手抜きでしたし(爆)
それから駕籠はかなり窮屈でした。(頭打った・・・)
まあ当時165cmもあったら大女どころか大男だったでしょうし、しょうがないのかもしれません(^^;
Posted by まや at 2009年03月06日 00:37
団子の話はたいした話でもないので(^^;

駕籠はもともと当時から狭苦しかったようです。自分で歩かない分狭いのは我慢していたんでしょうね。
大名駕籠はともかく、囲いのない町駕籠では転落事故も多かったとか(^^;
それでいて料金は現在のタクシーよりかなり高いものでした。
Posted by 八雲慶次郎 at 2009年03月06日 21:21
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