2017年10月14日

岡崎由美先生と行く四川武侠ツアー『5.ストームライダーズ Buddha of the world』

2017四川武侠ツアーマップ

いろいろと立て込んでいて書けなかったり、書こうと思ったらアクセス障害とかで随分と間が空きました。
大幇会までに終わるのだろうか(^^;

いよいよ長年楽しみにしていた楽山大仏へと向かう。レストランからは10分程度だった。
まずは遊覧船に乗り川から大仏を見ることになる。
4sen123.jpg遊覧船
4sen124.jpg一応ちゃちな救命胴衣を装着
このあたりは岷江、大渡河、青衣江が交わる合流域なので、水面を見ると川の色の境目が見える。
4sen125.jpg

楽山大仏は、唐の玄宗の頃、開元元年(713年)から90年かけて作られた。当時の楽山付近では大量の塩が産出され川を使って運搬され、年間で当時の価値で1000億円もの利益になったという。
しかし、輸送の大動脈である岷江は時に暴れ川となって人々を悩ませていた。
貴州省の僧・海通和尚が民衆から布施を集め凌雲寺そばの川に面した崖に、水害を鎮めるための仏像を彫ることになった。
布施だけであんなに巨大なものが作れるのかと思っていたが、塩商いで巨万の富を得ている商人の財力なら可能だったのだろう。
だが周辺を治めていた郡の官吏は大仏に大金が使われることが気に食わなかったようで、海通和尚に賄賂を渡すよう要求してきた。
海通和尚はきっぱりと断り「自分の目玉なら惜しくもないが、布施は仏様のものでありびた一文も渡せない」というと、官吏は腹を立てて「ならば目玉を寄越せ!」と言った。
海通和尚は動ずることもなく片眼を抉り出し目玉を皿にのせて官吏に差し出すと、傲岸不遜な官吏も恐れおののいて己の行いを悔い、その後は口出しすることはなかった。
海通和尚は大仏の完成を見ることなく亡くなったが、剣南西川節度使であった韋皐が後を引き継ぎ貞元19年(803年)に空前絶後の楽山大仏が完成した。
楽山大仏はただ仏様に祈るというだけではなく、工事で出た土砂を川の合流地点に投入することで水深を浅くして水害を大幅に減らすという効果があった。
完成当時の楽山大仏は大仏像閣という13層の木造の建物で囲われ、衣は金箔が貼られ肌は朱に塗られていたという。 しかし、明代末に建物は焼失してしまい、近年に修復されるまで雨ざらしで雑草に覆われていた。
このあたりの岩は脆く、指でもほじくれるほどで加工がし易い反面風化も激しい。だが楽山大仏は400年ほども風雨にさらされていた割には、修復前でもかなり原型をとどめていた。
それは雨水や湧水を外に逃がすための排水溝や溝をあらかじめ作っていたためであった。
数日後に訪れる都江堰でも思ったが、古代には恐るべき技術や知識をもった天才たちがいたものだと驚かされた。

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posted by 八雲慶次郎 at 22:07| 兵庫 ☁| Comment(2) | 武侠 | 更新情報をチェックする