2016年11月10日

岡崎由美先生と行く山東武侠ツアー その14 8月23日

2016山東ツアーマップ

いよいよ、というかやっと山東武侠ツアーの旅日記ラストです。
雰囲気のある街並みをバスで北に移動。途中、ナニ陛下が郵便ポストを動画で撮っているのを生暖かく見守り、混雑する道を抜けて最後の目的地・青島ビール博物館へ到着した。
この後お土産を買う時間があるかあやしいので、M山さんに頼んで買ってきてもらうことにした。
20160823c01.jpg建物の上に缶ビール
20160823c00.jpgビールのオブジェ
青島ビールは今年で110周年だとHPにはあるが、多分2013年から変えてないように思う(^^;
ドイツの投資家が青島でのビール製造を開始したのが1903年のことだ。ドイツのビール醸造技術を採用して、当時は日耳曼啤酒(ゲルマンビール)会社といった。
後に日本統治下では大日本麦酒(アサヒビール、サッポロビールの前身)が買収。第二次大戦終結後に中国が国営企業とした。1993年に中国の国営企業として初めて香港の株式市場に上場し、改革開放路線で民営化される。
20160823c02.jpg人形です
20160823c03.jpg20160823c04.jpg20160823c06.jpg
ここでは初期のビールの製造方法、現在の製造方法や歴史、原料や使われた機器などが展示解説されている。
20160823c05.jpg途中にあった無限ビール樽

そして、ここに来る人が皆待ち望んでいる試飲コーナーw
20160823c07.jpg原酒とおつまみ
ここではビールの原酒一杯とビール酵母でコーティングしたピーナツのおつまみをもらえる。
原酒は酵母を取り除く前のもので、日持ちがしないためここでしか飲めない。生ビールより濁っていて甘みが強い。おいしい!
ピーナツは蜂蜜が入っていて甘いタイプ。塩味のもあったが、この時は知らなかった。
20160823c08.jpg70年代の生ビールの樽
20160823c09.jpg実は爆弾の再利用でした
ここからは現在の工場の生産ライン。
20160823d00.jpg大量に流れる瓶ビール
真ん中の明るいところで、入っている量をチェックする。
20160823d01.jpgこちらは缶ビール
その他、歴代のラベルの展示や酔っぱらい体験(床や壁が斜めになっていてうまく歩けない)などいろいろと展示を見て回って最後に再び試飲タイム!
20160823d02.jpg生ビール一杯無料
ここではできたての生ビールが一杯無料で飲める。それ以上は有料だ。
併設の売店に、さっきのおつまみピーナツなどが売っていたので、皆さんおみやげにちょうどいいと購入。
箱の形が違うものがあったが、同じだと思っていたら味が違った。皆さん失礼しました。
20160823d02a.jpg即墨老酒と塩味ピーナツ
M山さんに頼んで買ってきてもらったのがこの即墨老酒。青島からほど近い即墨の名産の黄酒だ。
言い伝えでは2000年以上前から作られているという。記述にはっきり登場するのは北宋のころ。
黄酒といえば紹興酒が有名だが、紹興酒の原料が糯米(もちごめ)なのに対し即墨老酒は黍米(もちきび)を使う。先に炒ってから醸造するので、とても香ばしいのが特徴だ。
紹興酒よりも色が濃く、味は紹興酒より甘く、コーヒーのような酸味があり、匂いは醤油っぽい(^^;
癖があるほうの酒だが、ナッツ類と抜群の相性である。ここで買ったピーナツと一緒に美味しくいただきました。

帰国の時間が近づき、青島ビール工場を後にした。
しかし、ここで最後のトラップ発動。
20160823d03.jpg
狭い道に違法駐車の車が何台も止まっているため、大型バスがなかなかすれ違うことができない。
後ろも詰まっており、にっちもさっちも行かなかったが運転手のテクもあり、なんとか通過したときには車内から拍手が上がった。
1時間ほどかかり青島空港に到着。時間がないかと危ぶまれたが、スムーズにイミグレを通過し免税店を見て回る余裕があった。
そして一行は、成田行きと関空行きに別れて帰国の途についた。心配された台風による揺れもなく無事に日本に着陸。
長いようで短かった山東武侠ツアーが終了した。

今回の旅では、これまでの武侠ツアーであったほどのトラブルはなくてすみました。まあ、初っ端から電車が遅れ雨にふられたり、毎回のように夕食が遅くなったりはあったものの、泰山など観光の時は天候に恵まれ快適な旅行だったと思います。
最後に、この武侠ツアーを企画していただいた岡崎先生とM山さん、いつも大荷物を抱えて山東愛にあふれていたガイドの王さん、そしてツアーに参加された皆さんに感謝したいと思います。
また何処かの武侠ツアーでお会い出来るのを楽しみにしております。
改めていいますが、私は一参加者ですw 告知したりいろいろ噛んでたりすることはありますが、一参加者なのでお間違えなく(^^;

長々と旅日記にお付き合い頂きありがとうございましたm(__)m
なんとか大幇会までに書き終えたww

おわり




posted by 八雲慶次郎 at 21:15| 兵庫 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 武侠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月08日

岡崎由美先生と行く山東武侠ツアー その13 8月22日〜23日

2016山東ツアーマップ

青島に戻ってきた一行。この旅最後の夕食をとるためにバスで移動。
海沿いの道を行くと、初日にちらりと見た桟橋がライトアップされていた。
夕食は泊まるホテルとは違う氾海名人酒店で海鮮料理をいただく。王さん曰く、ここのホテルは料理もサービスも青島で一番だそうだ。
立派な部屋に通されると、窓からは海が見えライトアップされた桟橋も見える。反射してうまくカメラでは撮れなかったのが残念。
20160822f08.jpg豪華そうな予感
続々と運ばれてくる料理に加え、王さんが女児紅(紹興酒)をサービスしてくれた。
本来の女児紅は、女の子が生まれたときに紹興酒を仕込み埋めておき、結婚するときに掘り出して嫁ぎ先に持参するものだが、これは紹興酒の銘柄である。
20160822f09.jpg20160822g01.jpg
20160822g02.jpg20160822g04.jpg
20160822g03.jpgアワビ!
小さいからトコブシだろう、という話だったがアワビです。
調べたところトコブシは日本の海だけのもので、中国近海ではとれません。トコブシの貝殻には6〜8個の穴があるが、アワビは4〜5個しか穴がない。出たものを見ると穴が4個のようなので、これは小さいアワビで間違いないようだ。味も良かったヽ(´ー`)ノ
20160822g05.jpg20160822g07.jpg
20160822g06.jpgなぜか焼餃子
20160822g08.jpg20160822h02.jpg
20160822g09.jpgホタテ
20160822h01.jpgヒラメ
中国ではヒラメを牙鮃や扁口魚といったりする。牙は歯のこと。目よりも歯や口に注目しているみたいだ。
大きな魚はメインディッシュなので、改めて乾杯したりする。
20160822h02.jpg20160822h03.jpg
まだまだあったが、円卓が広すぎてうまく撮れてないのもあったのであしからず(^^;
1時間半ほどゆっくりと食事を楽しんだ後、今日泊まる青島匯泉王朝大飯店に移動。5つ星ホテルだ。
ホテルの部屋に入ると鉛筆があったので、例の孔子鉛筆削りにぶっさして写真を取ったw
20160822h04.jpg孔子鉛筆削り
やっぱり、これはアカンやつや…。

8月23日
山東武侠ツアー最終日。午前中に青島観光して午後に帰国の途につく。
20160823a00.jpgホテルからの眺め
朝食は25階にある回転レストラン。円盤型の展望フロアの床がゆっくりと回転していて、食事をしながら青島のほとんど全部を見渡すことができる。天気もいいので絶景だ。
20160823a01.jpgホテル てっぺんが回転レストラン
20160823a02.jpgなぜか上空に凧が揚がっていた
ホテルから道路を挟んですぐ向かいがビーチになっている。早朝から海に入っている人がかなりいた。
早起きして海岸を散歩した人も多かった。
ホテルを出発。まずは小魚山公園に向かう。
青島は中国の市の中でも面積が大変狭い。その割に小さな山なども点在しているので、建物はひしめき合っている。道路も狭いところが多く、観光名所でも観光バスが止められるところはほとんどない。
小魚山公園は眺めのいい小高い山というか丘だが、上まではバスが入れないので手前で降りて歩いた。
20160823a03.jpg小魚山文化名人街区
このあたりには、多くの文化人学者政治家などが住んでいたという。
なかなか雰囲気のある建物と街並みだ。
20160823a04.jpg20160823a05.jpg20160823a06.jpg
小魚山公園の近くには、なぜかコーヒーショップが多かった。
20160823a07.jpg
小魚山は60mほどの山というより丘なので、眺めはそんなに期待していなかったのだが、予想に反して素晴らしい眺望だった。
20160823a08.jpg建物は中華風だが
20160823a09.jpgドイツ様式の建物がつらなる
20160823b00.jpgその向こうには高層ビル
20160823b01.jpg泊まったホテルとビーチ
20160823b02.jpg青島電視塔
20160823b03.jpg城?
これは日本統治時代に作ったもので、青島水族館です。王さん曰く大阪城(^^;
20160823b04.jpgキノコ?
20160823b05.jpg拡大すると
信号山公園。ドイツがここで船舶に旗で信号を送っていたことから名前がつきました。
キノコみたいなのは今は展望台になっています。大昔に3つの狼煙で連絡をとったことから、3つの赤いドームをシンボルに作ったそうです。かつてはレストランとして営業したそうですが、山頂まで道路もないため不便すぎて廃業したとか(^^;
手前の立派な建物は、元はドイツ総督邸で後に迎賓館として使われました。

ここで360°画像
青島小魚山公園360°画像

バスが止まれそうなところまで歩いて降りてくる。道が狭いので速攻で乗り込む一行。
海岸近くまで移動するが、このあたりもバスを止める場所がないので、少し歩いて桟橋に向かう。
20160823b07.jpg桟橋
中まで行けるが、すごい混雑でスリも多発しているし、転落事故などもあるので離れて見ることに。
20160823b08.jpgすごい人だ
20160823b06.jpg桟橋と小青島
↑の左側の小さな島が、青島の街の語源となった島だそうだ。

ここで360°画像
青島桟橋360°画像

20160823b09.jpg新旧の建物が共存する青島の街

青島に戻ってきてから、バス移動のときに王さんがよく日本語の歌を歌う。ワンフレーズとかでなくフルで歌う。途中で拍手が上がっても止まらず最後まで歌いきる。気持ちが良さそうだ。
狭い道をすれ違うのに苦労したり渋滞したりしながら、この旅最後の目的地へとバスは向かった。
次回最終回です。

つづく




posted by 八雲慶次郎 at 22:34| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月06日

岡崎由美先生と行く山東武侠ツアー その12 8月22日

2016山東ツアーマップ

昼食後は岱廟を観光します。泰山は岱山ともいい、岱山を祀る廟なので岱廟といいます。
岱廟が最初につくられたのが漢代といわれていますが、それ以前にも泰山に登る時の祭事などがこの付近で行われていたようです。
現在は岱廟全体が、泰安市博物館になっています。
20160822e01.jpg入口(正陽門)
20160822e02.jpgこんなキャラもいた(身長チェック)
広さは96000平方メートルで、東京ドームが2つ入ります。
20160822e04.jpg宣和碑
入ってすぐ右にあるのが宣和碑(宣和重修泰岳廟記碑)で、岱廟で最大の亀趺碑だそうだ。
つくったのは北宋の徽宗。あの靖康の変で欽宗らと共に金に連行された皇帝だ。
さらに右へ進むと古そうな柏の木があり、石碑が傍らにたてられている。
20160822e05.jpg漢柏
この柏は漢の武帝が植えたものと言われていて、そのうちの5株が現存している。
↑画像右の葉がついている方の柏を「赤眉斧痕」、左の枯れていて2本が根本でくっついているようになっている方が「漢柏連理」といいます。
「赤眉斧痕」は、王莽の新のとき山東周辺で起こった大飢饉を契機に農民たちが蜂起し、それを率いた樊崇の軍「赤眉軍」が泰山を拠点としていた。その中で漢王朝に恨みのあるものが、漢の武帝が植えた柏であると知り斧で切りつけたところ、血のように赤い液体が噴き出したので恐れをなしてそれ以上切ることができなかった、という伝説がある。
「漢柏連理」は二本の木が根を同じくして生えているためについた名だ。「理」は木目のこと。長恨歌にある「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」の連理の枝は、春秋戦国の宋の話が元になっているので、この木とは別物だ。
20160822e06.jpg漢柏連理の石碑
この石碑は漢柏連理を寵愛していた乾隆帝がたてたもので、石碑に絵が書かれているのは珍しい。
20160822e07.jpgたくさんの石碑
石碑には多くの名筆が書かれていますが、落書きも多くて保存状態はこんなのでいいのかと思ってしまいます。
続いて東御座という建物に向かいます。ここは岱廟に来た貴人などの休憩所。元代に建てられ、康煕年間と乾隆年間に増築されたもので立派なのですが、ここの見どころは別にあります。
20160822e08.jpg始皇七刻石のひとつ
他の石碑と違って、さすがにガラスで仕切られている。(写り込んでよく見えない(´Д`;))
画像の上の方にある大きめの文字が始皇帝の丞相・李斯の手によるものと言われており、始皇帝が秦の国内を巡幸したときに6箇所で7つ建てたという石碑のひとつだ。北宋の頃にはすでに痛みが酷く始皇帝の記述は剥がれ落ちていたが、それでも200文字以上は残っていた。その後、盗難や火災などにみまわれ今では10文字を残すのみとなっている。
始皇七刻石は、この泰山刻石のほかは中国歴史博物館に保存されている瑯琊台刻石の2つのみが現存している。
秦の公式の書体である篆書体で刻まれた書蹟であり、国宝級の貴重なものだ。
失われた部分は何が書かれていたのか、李斯や始皇帝の思いはどんなものだったか、思いを馳せようにもあまり知識がないので「忘れようにも思い出せない」byバカボンパパ。

20160822e09.jpg乾隆帝コスプレもできる?
20160822f01.jpgいたるところに石碑がある
中央を進んでいくと中国三大宮殿建築のひとつ天貺殿が見えてくる。が工事中だった。
20160822f02.jpg天貺殿前の露台
天貺殿前の露台には「扶桑石」という変わった形の石があり、俗称「迷糊石」という。この迷糊石の目をつむって時計回りに3回逆回りに3回まわってから天貺殿方向にある古い柏の木(孤忠柏というらしい)に触れられると、泰山の神様から福がもらえるという「摸福」という遊びがあるそうだ。
木に触れるどころか途中で台から転落しそうなのでやらない。

20160822f03.jpg天貺殿
天貺殿は北宋の真宗によって建てられた。別名は仁安殿、峻極殿。「貺(きょう)」は賜るの意味。
外も工事中だが中の壁画も補修中で、土やホコリなどを持ち込まないように靴にビニール袋を装着して中に入る。中には「泰山神啓蹕回鑾図」という見事な壁画があるのだが撮影禁止。
泰山神啓蹕回鑾図
「泰山神啓蹕回鑾図(たいざんしんけいひつかいらんず)」は、東岳大帝が各地を巡幸して戻ってくる内容になっている。「啓蹕」が出かける「回鑾」が向きを変えて帰ること。
なんとか上手に補修して保存してほしいものです。
20160822f04.jpg銅亭
天貺殿を出て東から裏に回ると銅亭がある。その名の通り銅でできている。
もとは泰山の上の碧霞祠にあり碧霞元君を祀っていたが、ここに移築された。銅製というと武当山の金頂を思い出す。
広い庭園を過ぎ北側の厚載門から岱廟を出ると、目の前に泰山が見える。
20160822f05.jpgでも大分曇っている泰山
皇帝たちは岱廟で準備を整えてから泰山に登ったが、我々は逆になった。でも天候からすると正解だったようだ。

泰安での観光を終え一行は高速鉄道に乗るため駅へと向かった。
余裕を持って泰安駅に到着。荷物検査を済ませ駅に入り運行状況を見てみると…
20160822f06.jpg赤字
我々の乗る列車だけ7分遅れになっていた。まあその程度ならいいさ。飛行機が飛ばないよりずっといい。
一行は岡崎先生におごってもらったアイスなどを食べながら時間を潰した。
時間になり高速鉄道に乗り込むと最初から本気出しているので速い。王さんが一度も見たことがないと言っていた時速305キロを記録した。しかし、車内はたびたびカップ麺の匂いが立ち込める。やはり中国の鉄道だというのが感じられる。
おやつを食べたり休息したりするうちに、あっという間に列車は低速モードになり外は暗くなっていった。
隣のナニ陛下の応対をするのに全身全霊を注いでいたので、眠る間もなく青島に到着。
20160822f07.jpg青島駅周辺
往路とは駅の反対側に出てきた。時間は20時。
これからこの度最後の夕食となる。

つづく


posted by 八雲慶次郎 at 19:03| 兵庫 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 武侠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月03日

岡崎由美先生と行く山東武侠ツアー その11 8月22日

2016山東ツアーマップ

ついに泰山山頂の玉皇頂に到着!標高1545mだが、周りには泰山より高い山は存在しないので、四方を一望できる。2000年以上前の歴史書に名を連ねるような人物もここを訪れたと思うと、感慨深い。
20160822b08.jpg頂上 まわりには願掛けの鍵がたくさん
頂上からの眺めを、写真と360°画像でどうぞ。
20160822b09.jpg20160822c01.jpg
20160822c02.jpg20160822c03.jpg

ここで360°画像
泰山玉皇頂360°画像

少し雲が出てきたが、それもダイナミックな演出になって素晴らしい眺めだった。
20160822c04.jpg無字碑
玉皇頂の前にある無字碑で全員で記念撮影をした。
名前の通りなにも刻まれていない石碑・無字碑は、いろいろ説があるようだが漢の武帝が建てたものだというのが有力だ。
漢の武帝が封禅のため訪れたとき「ここからの眺めが言葉に出来ないほど素晴らしい」から、なにも文字を刻まなかったとも言われている。
この石碑は頂上から少し下に建てられているが、玉皇頂の建物がなかった当時、石碑の先端が山頂より少し高くなるようにつくられたらしい。ちょっと見栄っ張りだった漢の武帝(^^;

雄大な景色を堪能した一行は、上り道とは別のルートで下山開始。
途中に孔子廟があったが、王さんがやはり偽物扱い(^^;
しかし、どこの廟も迂闊に奥まで入ってお参りすると高額お布施を要求されることがあるので油断がならない。こういうときの私の耳は、たいしてできない中国語の聞き取りが、さらに不自由になる機能を持っている。アーアーキコエナーイ。
スムーズに下山し、天街まで戻ってきた一行。往きにはあまり良く見ていなかったが、名物の泰山煎餅の店が並んでいる。
そういえばホテルにもこんな広告が出ていた。
20160822c06.jpg
20160822c05.jpg泰山煎餅の店
煎餅と言ってもこれは、クレープ状に薄く生地を焼き(面餅というらしい)味噌を塗ってネギや卵焼きを巻いて食べる。
曲阜煎餅や武大郎の売ってた煎餅はパリパリだったが、これはしっとりした感じみたいだ。
生地は、高粱、トウモロコシ、小麦などが使われるらしい。
下山直後に昼食のため、もしかしたら昼食に出るかもとも思って買わなかったのだが、やっぱり食べておけばよかったと残念に思う。
さて特色粥のところでも名前を出した蒲松齢が、煎餅に並々ならぬこだわりを持っていたのがわかる文章を残している。その名も「煎餅賦」。
「煎餅賦」には、煎餅の歴史から始まり、材料、道具、生地の作り方、焼き方のコツ、ちょうどよい焼き色など、事細かに書かれており、当時の煎餅や食べ物についての重要な資料にもなっている。
難しいことはわからないが、蒲松齢が煎餅ラブなのはよくわかった。

ロープウェイ→シャトルバス→バスで移動し、昼食は泰山菜館という店でとる。
20160822c07.jpg泰山ビール
20160822c08.jpg20160822d02.jpg
20160822d01.jpg20160822c09.jpg
さて↓の料理をよく見てほしい。
20160822d03.jpg何か入ってる
なにかネジネジヨリヨリした見覚えのあるものが。
食べてみると間違いなく麻花兒だった。あのかりんとうっぽいお菓子そのままだった。
麻花兒を料理に使うのがよくあることなのか、それともこの店の料理人がチャレンジャーなのか…。
味は悪くなかったのでいいのだが、気になるところだ。
そして泰山煎餅は出なかった。残念無念。
昼食後は、店からほど近い岱廟へと向かう。

つづく



posted by 八雲慶次郎 at 21:25| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月01日

岡崎由美先生と行く山東武侠ツアー その10 8月22日

2016山東ツアーマップ

20160822a01.jpgホテルから見る泰山
武侠ツアー4日目、いよいよ泰山に登る。これ以上無いくらいの好天に恵まれた。
一行は8時過ぎにホテルを出発。ロープウェイの乗り場へと向かう。
下から歩いて登ることも可能だが10時間かかるらしい。その場合、大抵が山頂近くで一泊してご来光を拝む日程だ。しかし、我々は明日帰国なのでそうも行かないのでロープウェイ利用だ。けして歩いて登るのがしんどいからではない、と言いたいところだがしんどそうだからいやだ。

泰安の街は宿泊施設など泰山観光の客のための店や建物が非常に多いそうだ。
調べてみると2015年の泰山観光客数は589.8万人に達したそうだ。10年連続の大幅増だという。
そりゃホテルだらけになるはずだ。
50分ほどもかけてバスがついたのが泰山の裏側(北側)にある泰山桃花峪游人中心というバスターミナル。
20160822a02.jpg
ここからは一般車は入れず、専用のシャトルバスで移動する。
桃花峪は泰山の麓の景勝地で見どころも多いようだが、泰山に登頂するのが最優先なのでパスしてロープウェイ乗り場へ。
桃花源索道(ロープウェイ)は、頂上の玉皇頂に一番近いロープウェイだそうだが、降りてから階段800段は登るらしい。
20160822a03.jpgロープウェイからの眺め
10分ほどで山頂駅に到着。さすがに外界より5度くらいは涼しい。
まずは下からず〜〜〜っと続く階段の到着する南天門に向かう。
20160822a04.jpg南天門から下を望む
予想以上に階段を登ってくる人が多かった。岡崎先生も以前階段を10時間かけて登ってきたことを思い出し感慨深げでした。
20160822a07.jpg20160822a06.jpg天街
山の上とは思えない賑わいの天街。登山客の宿や食事の店が集まってできたこの街の起源は古く、なんと宋代にはすでにあった記述が残っている。

ここで360°画像
泰山天街付近360°画像

このあたりでもすでにかなりの絶景だ。
20160822a09.jpg
20160822a08.jpg五岳を表す石碑
20160822a07.jpgまだここから800段
20160822a10.jpg
周辺の岩壁には様々な文字が様々な時代に刻まれています。

階段を登っていくと碧霞祠があります。
20160822b01.jpg碧霞祠
20160822b02.jpg
泰山の上では、なかなかこんな晴天がないので布団も干してありましたw
碧霞祠は、あの全真教の聖地でもあります。最初に建てられたのは宋代。祀られているのは碧霞元君で、正式には「東岳泰山天仙玉女碧霞元君」、通称で泰山娘々とか泰山老母などいろいろな呼び名があります。
その出自も、東岳大帝の娘、黄帝が遣わした玉女、漢代の石玉葉という女性が昇仙した、などいろいろ。
なんにしろ古くから信仰されているのには間違いありません。
ここにも乾隆帝の扁額があります。

碧霞祠で一息ついた後、更に進むとそそり立つ岩壁・大観峰またの名を唐摩崖があります。泰山での大きな見どころです。
20160822b03.jpg唐摩崖
もとはこの目前に東岳廟があったが取り壊されたらしい。
なぜ唐摩崖かというと、726年に唐の玄宗皇帝が封禅したときのことを記した「紀泰山銘」が特に有名だからだ。
20160822b04.jpg紀泰山銘
キンキラキンなのは派手にするためではなく、文字を保護するためらしい。
玄宗皇帝がこれを刻んだところには、もとは漢代の文字があったらしいが削ってしまったらしい。なんともったいない、というか無謀なことをするものだ。
20160822b05.jpg微かに下にあった文字が見える
「紀泰山銘」は成田山書道美術館に巨大な拓本が展示されている。
20160822b06.jpgこちらは乾隆(以下略
唐摩崖を過ぎるといよいよ頂上が近づいてきた。道が狭くなってきたので観光客がひしめいている。
なにやら人だかりがあると思ったら…
20160822b07.jpg五岳獨…
人が多くて見えないが、有名な「五岳獨尊」の石碑。
ここを過ぎれば頂上の玉皇頂は目前である。

つづく





posted by 八雲慶次郎 at 21:12| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月08日

岡崎由美先生と行く山東武侠ツアー その9 8月21日

2016山東ツアーマップ

夕方5時過ぎに水泊梁山を出発したバスは、今日の宿のある泰安へと向かっていた。
泰山の麓の町・泰安は水泊梁山から北東にあり2時間近くはかかるらしい。
だが、甘かった。今回の旅では夕食が遅くなるというのが宿命付けられているのだった。
水滸影視城から水泊梁山へ来るときは最短ルートが工事中のため迂回したのだが、すでに夕刻のためもう工事も終わっていると判断したのかバスは最短ルートを走り出した。
しかし、案の定途中で進めなくなり、脇道を探すもUターンする羽目になったりで大幅に遠回りになった。
私は汗だくで歩き疲れたところに冷房にあたったからかヘロヘロになっていたので、結局バスがどんなルートを辿ったのかよくわからない。
ふと見ると街なかで、何やらキンキラキンの建物が目に入った。
20160821p5.jpg宝相寺
これは北魏からの歴史があるという仏教寺院の宝相寺。文革のときには荒廃していたのだが、創建当時からある太子霊踪塔の地下から1994年にお釈迦様の歯を含む仏舎利など貴重なお宝が発見され、それからは大寺院が再建されキンキラの塔もつくられたらしい。新しい建物には有り難みがないなあ。
ここですでに出発から1時間半経過。地図を見ればわかるがほとんど進んでいない。
この後ガソリンスタンドでトイレ休憩をすませて出発。しだいに外は暗くなっていった。

今日の宿、泰安銀座佳悦酒店に到着したのは午後9時前だった。3時間半以上かかったことになる。
到着してすぐ夕食。ヘロヘロで食欲など無いのだが、写真を撮らないといけない使命がある!
20160821q0.jpg円卓の中央に置いてある
なんで3つ並べてあるのかは不明。
20160821q1.jpg20160821q2.jpg
20160821q3.jpg20160821q4.jpg
今夜は豆腐宴である。泰安は豆腐が名物で、様々な豆腐料理が出て来る。↑は豆腐の麺が入ったスープ。
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20160821r1.jpg20160821r0.jpg
豆腐の中をくり抜いてひき肉を詰めてあるものなど、多彩な料理がある。
20160821q9.jpg赤鱗魚
赤鱗魚は泰山固有の魚で昔から珍重され、中国五大名魚のひとつだそうだ。骨ごとバリバリ食べた。
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長い一日が終わり、やっとホテルの部屋に入った。明日も結構歩くことになるので、さっさと風呂に入って休もうと思ったら…
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ベッドからトイレとバスルームが丸見えだった。前に上海のホテルでもこんな部屋だったが、こういうのが流行ってたりしたことがあるのだろうか。
まあいいか、明日の泰山に備えて体力回復に専念することにした。

つづく

posted by 八雲慶次郎 at 21:23| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月05日

岡崎由美先生と行く山東武侠ツアー その8 8月21日

2016山東ツアーマップ

昼食を終え、水滸影視城から水泊梁山へ向かう。ここは梁山という小高い山があり、80年代にドラマ「水滸伝」を撮影した場所だ。ただ、そのドラマでは朝廷に媚びるようなシーンが多いため不評であったという。
水泊梁山への最短のルートは工事中らしく、少し遠回りになったのでバスで1時間ほどの移動になった。
20160821n00.jpg水泊梁山風景区入口
入口付近にこんな剥製?が。コスプレして武松の虎退治、ということだろうか。というかライオン?ちっさいし…。
20160821n01.jpg武松の小ライオン退治
20160821n02.jpg施耐庵の像
20160821n03.jpg水滸英雄
水泊梁山風景区でまずオススメなのがチケットです。
20160821n1.jpg水泊梁山風景区チケット
なかなか趣があってよろしいかと。
20160821n2.jpg水泊梁山風景区マップ
この地図の左下から右上の奥まで歩きます。途中違う峰にも道があるようですが、そこまで廻っていられません。
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↑に見える笠は岡崎先生。入口近くの店で購入して青島まで活躍します。
20160821n4.jpg武松と魯智深の像と岡崎先生の笠
ここからかなり危険なレベルの急な石段を登っていくと、所々に水滸英雄にまつわるものがあります。
20160821n5.jpg林冲の逸話のレリーフ
少し進むと水滸伝に登場する断金亭があった。魯智深もいた。
20160821n7.jpg水泊梁山の魯智深
断金亭では、水滸影視城でもやっていた山東快書が見られる。
20160821n6.jpg山東快書
手に持って音を出しているのは竹の板ではなく三日月型の金属板。これは鴛鴦板といい竹板と同じく山東快書で使われるものだ。時折見せる大きな振りもあって見ごたえがある。
20160821n8.jpg梁山の風景
梁山は4つの主峰と7つの支峰からなり、広さは3.5平方キロほどもある。昔は周囲を沼沢に囲まれていたこともあり、見るからに難攻不落の山塞であったことがうかがえる。
山道を歩いて行くと、所々に水滸英雄のゆるキャラというか萌えキャラみたいなイラスト付きの人物紹介の看板があった。見かけたものをまとめて並べてみる。
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それはそうと、これは何か?右上に「ZTE中興」という文字があるが、これは中国の携帯通信会社なので、おそらくは携帯の基地局の設備ではないかと思われます。
山の上までは、車が通れるような道路もなく、荷物を上げるのに今でも馬や人力に頼っているようなのに、山中でも電波は普通に届いているのは、このおかげでしょう。
途中休憩を入れつつ号令台まで登ってきました。すでに汗だくですがまだ道半ばです。
20160821o0.jpg号令台に続く道
20160821o1.jpg号令台
号令台をでると今度は下り。このあたりは黒風口といい周囲は断崖絶壁だったりで昔は難所だったことでしょう。
ふと右を見ると…
20160821o2.jpg!?
もしかしてあれは…
20160821o3.jpg黒旋風李逵
斧を持った李逵が観光客に向かってしきりに「そこのお前!ちょっとこっち来い!」と怒鳴っている。
みんな遠巻きにして写真は撮るけど、怖がって誰も近づかない。まあ李逵だし、しかたがない(^^;
近くには李逵の像もあった。
20160821o3a.jpg李逵の像
また足元の岩にくぼみがあり囲いがしてあった。
20160821o4.jpg孫二娘の足跡
孫二娘が悔しがって地団駄を踏んだときにめり込んだ穴だという。嘘くさいが地元では信じている人も多いらしい。
20160821o5.jpg花栄の像
李逵のところからまた上りになりしばらく進むとようやく終点の忠義堂についた。
20160821o6.jpg20160821o7.jpg忠義堂
中には水滸108星の旗がある。
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もう少ししたら忠義堂で「楊志売刀」のアトラクションがあるようなので、それまで周囲を見て回る。
20160821p0.jpg宋江の井戸
伝説によると、山頂にあるにも関わらず、すぐ手がとどくところまで水が湧いていたが、宋江が招安をうけてこの地を去ると枯れてしまったという。
20160821p1.jpg108星の名前が刻まれた岩
なんか書いてあるみたいだけど読めない…。

ここで360°画像
水泊梁山360°画像

眼下に見える湖は、後に作られた人工のもの。
20160821p2.jpg靖忠廟
眺めを楽しみ、靖忠廟を覗いているうちにアトラクションの時間になった。
「楊志売刀」の青面獣楊志が伝家の宝刀を売っているところをゴロツキに絡まれるところの話だ。
青い服が楊志。しかし…
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なんの緊迫感も迫力もないダラダラ演技だったorz
時刻は夕方5時前。そろそろ引き上げる時間になった。アトラクションもこれが最後のようだから、さらに雑になっていたのだろう。しかしひどすぎるが(ーー;)
帰り道では、岡崎先生が子犬と戯れたり、若い女性が李逵と肩くんで写真撮っていたり、魯智深が仕事を終えて帰っていくのを見たりしつつ下山。
汗だくでの山歩きでかなりの疲労が溜まっているのを、このときはまだ気が付かなかった。

一行はバスに乗り込み、今日の宿がある泰安へと移動を開始した、のだが…。

つづく
posted by 八雲慶次郎 at 17:48| 兵庫 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 武侠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする